更新日 : 2024/08/28
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追手門学院大学附属図書館
<h1>曾野家写真アルバム</h1> <div style="display: flex"> <div style="width: 65%;"> <p>「曾野家写真アルバム」の写真原版を所蔵する曾野豪夫(その・たけお)氏は、オーストラリアからの羊毛輸入で名高い兼松(かねまつ)の駐在員であった曾野近一(きんいち)・慰(やす)氏夫妻の長男として、昭和8(1933)年にシドニーで生まれた。<br> 「兼松株式会社沿革」などによれば、明治22(1889)年に兼松房治郎(かねまつ・ふさじろう)が神戸で「豪州貿易 兼松房治郎商店」を設立し、翌年には同社シドニー支店を通じて羊毛の直接輸入を開始した。過年、本デジタルアーカイブで収録した「廣戸家写真アルバム」の廣戸茂吉(ひろど・しげよし)氏は初期の現地代表役員である。<br> 曾野近一氏は昭和2年(1927)からメルボルンおよびシドニーに滞在したが、日本が戦争に突入する前の昭和16年(1941)4月に家族は神戸に引き揚げた。現地代表役員であった近一氏も翌年に日英交換船「鎌倉丸」でいったん帰国したものの、昭和18年(1943)に、海軍徴用船となった同船に再び乗りカリマンタン(ボルネオ)島バリクパパンに渡航の途上、アメリカ潜水艦の魚雷攻撃を受けて、海軍軍属として没した。<br> 曾野近一氏から豪夫氏に引き継がれた公私にわたる戦前の写真は膨大な量に上り、ご自身の編集による曾野豪夫『写真で語る日豪史―昭和戦前編―』(六甲出版、平成12(2000)年)には詳細な解説も付されている。今回収録した写真は、オーストラリア滞在中のご家族の日常生活を写したスナップ写真が中心である。昨年東京都内のご自宅に伺い、アルバム9冊全400枚を超えるコレクションをお預かりし、比較的社会性が高いもの、当時の生活の様子を示す資料として貴重なもの70点あまりを選ばせていただいた。撮影日時や場所を特定するために幾度も曾野氏の手を煩わせた一方で、キャプションの体裁を整える必要から、写真に添えられた日本語・英語の注記や、裏面注記、後筆など、不本意ながら省略せざるを得なかった情報も少なくない。<br> また写真に写った街路名・建物名の特定や地名のカタカナ表記への変換に際しては、曾野氏を通じて、氏と親交の深いシドニー出身の東京工業大学教授デフェランティ氏(Prof. Hugh de Ferranti)による幅広い検索、現シドニー居住者への聞き取り等の協力も得た。<br> アルバムをお預かりして1年以上を費やし、やっと公開にこぎつけた。その間の曾野豪夫氏のひと方ならぬご協力には、ひたすら感謝しかない。日豪市民交流の一コマとしての記録を伝える意義は大きいと信じている。ここに収録した写真のさらに深い理解のためには、曾野豪夫氏による上記のご著書、および「兼松株式会社」の社史類も参照されたい。<br> <br> 2024年8月<br> 追手門学院大学名誉教授 南出眞助<br> 同附属図書館オーストラリア・ライブラリー<br> 阿部良子</p> </div> <div style="width: 30%;"> <div style="text-align: center"> <img src="/il/cont/01/G0000145AUSDASO/001/071/001071027.jpg" style="width: 350px;"/> </div> <div style="text-align: center; padding-top: 5px;"> <a href="/il/cont/01/G0000145AUSDASO/001/071/001071028.pdf" target="_blank">『曾野家家族写真』</a> </div> </div> </div>
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このデジタルアーカイブは、豪日交流基金によりオーストラリア政府 外務貿易省の助成を受けています。