存 眞 圖 腋 (写 本)
   
 文政5年(1822年)3月、仙台藩医学校外科教授として着任した佐々木中沢(1790-1846)は同年6月29日女囚を解剖し、医学校学頭 渡部道可の序文と内科教授渋谷順庵の跋文を得て、同年7月「存眞圖腋醫」一巻を著した。
 中沢は江戸から大槻玄沢、桂川甫賢に従学、南小柿寧一の「解剖存真図」(1819年)の跋文を書いたが、そのなかで色彩の明備を 欠いている婦人生殖器の解剖所見を明確にしようと企てたもので、6枚の彩色図は畠山仙江と大槻江陰の手になり、参照した訳説は 医学校蔵書のウランカール解剖書と「医範提綱」である。
 この解剖にあたり子宮と膀胱の関係が蘭書の図譜とやや異なることを発見し、また卵巣の一つを煮て部開した。陰唇の訳名は中沢の造語である。
(図録日本医事文化史料集成 第2巻より)
   
        
存眞圖腋

-東北大学附属図書館医学分館所蔵-        
   
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